到津の森公園

名誉園長の部屋 公園だより

この数年間で動物園はどのように変わった?

 

 私たちが動物園の世界に足を踏み入れた時は、世界は野生動物の宝庫と思われていました。アフリカ、アジア、南米の密林は特にそう考えられていました。

今から60年前、家にあった雑誌「暮らしの手帖」に掲載されていたダレル(Gerald Durrell 1920-1995)の紀行記「積みすぎた箱舟(1953年、日本語訳は1960年)」を貪るように読んだ記憶が昨日のように蘇ります。この本は、ダレルがロンドン動物園の研究者であり、アフリカにロンドン動物園のために動物を採集に行くという話です。つまり当時は、アフリカには未知の動物があふれ、汲めど尽きぬ資源としてあったということです。彼は1959年チャネル諸島のジャージー島にジャージー動物園を開園し、1963年ダレル野生生物保全トラストを立ち上げます。その後、彼は野生生物の保全に全力を尽くすようになります。

 話は元にもどりますが、私が動物園に身を投じたのは1972年でした。欧米ではすでに野生生物の保全を考えている時代でしたが、まだワシントン条約もなく、日本にはアジアから多くの動物が船員によって持ち込まれていました(到津では主にサルでした)。当時「クロザル」というニホンザルの属と同じですが、ヒヒのような顔をしたサルもいましたし、テナガザルは日本で最大の種類を有していました。

 前述したワシントン条約は1973年にワシントンで締結され、日本が参加し発効したのは1980年です。このような世界規模での条約は、もちろん日本の動物輸入に大きく影響を与えました。徐々にこの条約に載った動物も増え、厳しさも増します。このほかに日本の家畜に大きな影響を与える口蹄疫など伝染病の検疫も厳しくなり、いわゆる汚染国からの輸入はほぼできないようになりました。アフリカのエボラ出血熱のウイルスの保菌者であるサル類の検疫も強化され、それ以外にもげっ歯類のペスト、鳥類の高病原性鳥インフルエンザ、東南アジアのサーズSARSなど、動物に関連する病気によってその動物の輸入が非常に厳しくなっています。これらはいわゆる物理的な規制で止むを得ません。

 それ以上に厳しくなったのは、海外の「目」です。それはどのような「目」なのでしょうか。それがこの数年来の出来事です。覚えておられるでしょうか。太地でのイルカ漁で捕獲されたイルカを購入するのであればJAZA(日本動物園水族館協会)はWAZA(世界動物園水族館協会)から脱退するようにとWAZAから通告されました。それが2015年です。太地からイルカの導入を予定しているいくつかの水族館はJAZAを離れ、JAZAは太地からイルカの導入を止めることに同意し、WAZAに残留することになりました。なぜWAZAはイルカの導入に反対だったのでしょうか。それはイルカの生態にあります。近年、技術進歩で海洋生物や海棲哺乳類の研究が進み、その生態が徐々に分かるようになってきました。特にイルカは沿岸に棲むという性格上研究が進んでいます。その高い社会性はチンパンジーに匹敵するとも言われています。しかし、イルカの飼育環境は、その生態とはかけ離れ、単体で飼育されるばかりか、例え出産しても、その環境下では哺乳が非常に難しいと言われています。子どもの育成には母親方の叔母さんなどの介添えが必要であったり、哺乳のための直線距離が16m以上なければならないなど現在の飼育下では物理的な、また社会的な条件を満たすことができません。それ故に、EAZA(欧州動物園水族館協会)は水族館でのイルカ飼育を禁止しました。このことは何を意味しているのでしょうか。

 実はここ数年に大きなうねりとなったのは「倫理」、「道徳」、「福祉」です。特に「福祉」は動物福祉と置き換えられ、自然下の生態の環境がどのくらい約束できるかという科学的な評価が求められます。つまり、飼育下の動物が野生下と同じような選択肢を持っているかということです。Lisa Kaneらは、Optimal Conditions for Captive Elephants 2005の中でゾウの体温調節のために次のような環境が選択できることを推奨しています。

・Sun and wind・Shade and wind ・Sun with no wind・Shade with no wind

これは単に体温調節のみの例で、社会的な種にはこれに加え、その社会的組成も非常に重要になってきます。このような動物側からの観点は、今までのように、どのような動物を見せるのかということとは対照的です。

このような環境を提供できるかどうかが問題となります。見せたい動物を飼育するのではなくて、飼育できる動物を見て知ってもらうという方向が必要でしょう。

 

David HancocksはElephants and Ethics 2008の中でこのように言っています。

「自分たちがゾウに熱心であることに比べ、動物園の飼育下のゾウへは不適切な環境しか提供できていない。これは恥ずかしいことだ」p.264

「地方の動物園でゾウを見ることができないということは、…動物園のゾウの飼育水準と福祉にとって偉大な改革を意味する」p.280

 

 今、私たちはこのような激動の時代に生き、新しい動物園像を追い求める必要があります。それはこの地球の未来を考えることでもあり、物言わぬ仲間への正当な思いやり(倫理、道徳)でもあります。

倫理を英語でethicと言います。私たちはethicalな活動を続けていかなくてはなりません。繰り返しになりますが、それは私たちの子孫のためでもあり、地球上の数多くの友人のためでもあるのです。

 

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