名誉園長の部屋
日本の文化を考えてみるに(やや高尚な話題になりました)諸外国と比べて特異な部分があることに気がつきました。
その一つが内に向かう精神文化です。少し分かり難いかと思いますが、私たちの動物園という「園」のみを切り出して考えてみましょう。
日本にはかなり古くから作庭の技術がありました。平安中期には「作庭記」という庭造りの秘伝書も記されています。平安時代以前の庭は広大で池に船を 浮かべることができるなど、どちらかといえば中国の庭園を模しています。やがて、鎌倉・室町時代になると僧侶が寺院の庭を造るようになります。いわゆる石 僧の出現です。平安時代の巨大な庭園から坪庭ほどではなくてもかなり小振りの庭が作られるようになってきました。やがてこれが日本の寺院の庭の原型をなし ていきます。
大きなものから小さなものに向かう時は何が必要なのでしょうか。また何が小さな物に向かわせたのでしょうか。
それは心の文化です。非常に高い精神性が必要です。千利休があれを捨てよ、これも捨てよと言ったように、ただ一点に集中する感覚を最も必要としま す。あれもこれもでは自らの意図することが伝わり難いからです。現代に残されている寺院の庭の多くが鎌倉・室町以降のものであるのもこのお茶の世界と切り 離しがたい一面があるのだと思います。
では、このあれもこれもといった感覚を制御するのはどのような力なのでしょうか。それは「止める力」つまり「抑制する力」だと思っています。四方に 拡がろうとする自らの思いをただ一点に収束させるには、その拡がろうとする思いを絶たなくてはなりません。その絶った思いを一点に表現する。それが彼らの 行き着いた境地であったのでしょう。力を分散するのではなく、集中することによってよりその表現力を高めることができます。つまり抑制するからこそエネル ギーの高まりを感じるのです。
何も大きなものが大きな力を示すものではありません。巨大な物も必要かもしれません。しかし小さなものが小さなエネルギーしか持っていないのではないのです。
私たちはこの小さな「到津の森公園」が大きなエネルギーを秘めていることを実感しています。
あれもこれも欲しいとは思いません。その思いを断って小さなものにつぎ込む力が人々を感動させるものだと信じて疑わないからです。