名誉園長の部屋
シリアで日本人の女性記者が死亡するという記事が出ていました。
シリアは全土で交戦状態という過酷な状態になっています。
その中で彼女の伝えたかったものは何だったのでしょうか。
私たちは世界中の幸せの中で生活しているのではありません。有り余るほどの物資や娯楽がどこでも得られるものではないことを知ってはいます。だからと言って身につまされることはありません。それが現実です。
しかし、過酷な現状に目を閉ざしていてもいいということではありません。私たちのこの文明の発達はその過酷な国々の犠牲の上に成り立っている可能性すらあります。
彼女の伝えたかったもの。それは地球上の全ての人々に同じ幸せをもたらしたい、悲惨な現状に目を瞑っていて欲しくない、その存在を共有して欲しい、ということだったかも知れないと思っています。
私たちがなすこともなく一日が過ぎようとしているとき、かの国々では小さな命がいくつも奪われているのだという悲しい現実があります。
戦争は多くの命を奪う。それはただ人類のみではありません。かつてベトナムでは焦土作戦と言われたナパーム弾や枯葉作戦はどれほど多くの人と動物の命を奪ったのか。正義を口にするほど空しいものはない。
戦争は卑怯である。20㎜に満たない弾丸が1600㎜つまり80倍もの大きさの命をいとも簡単に奪ってしまう。見えもしない遠くから発射されたものをどのように避けろというか。遠い上空から投下される爆弾に私たちはどこに逃げればいいのか。
誰にも愛する人がいて大事にするものもあると思い至れば、その敵にも生きる幸せはあると理解できます。どのような生命にもその尊厳と愛は必要なものです。
戦争とは条件や対象を厭わずその命を絶つことを要求するものです。
今、私たちは大切な物を失おうとしているのではないだろうか。
伝えることを忘れた「私の敵は 私 」なのです。
彼女が伝えようとしたことは「私の敵」に対する答えだったのではないでしょうか。
儚きもの
儚きもの
君の腕に抱かれし命
その小さき手で高き天を支えよ
その小さき手で蒼き海を汲め
その小さき手で疾き風を掴め
儚きもの
儚きもの
そなたの立つ大地は砂のように弱く
そなたの体は硝子のように脆い
だからこそ
だからこそ
その儚く小さき命こそ貴き
かつて作った戯れ歌をこんなところで披露しようとは思っても見なかった・・・。